#3シングルマザー 子育て中のママへエールを 【 私の息子は自閉症 】姫路市カウンセリングルームプチフォレスト
2019/10/10
こんばんは^^
姫路市カウンセリングルームプチフォレストです。
昨日に引き続きまして、
#2は、保育園の卒園まででした。それ以降のポイントを含めて、
#3では、診断までの経緯をお話したいと思います。
【診断までの経緯】
息子は小学生になり、まだあどけない幼さの残る時期で
1人で大丈夫かな?という心配は、多々ありました。
私の仕事の都合もあり、小学1年生~3年生まで放課後に学童保育で
お世話になっていました。毎日のルーティーンが決まると慣れで行動できるようになります。
4年生からは学童が利用できないのですが、この時期に転校をしています。
学校でも手を貸してくれる生徒もいれば、からかう対象として問題に発展したこともありました。
問題になった時には、その度、対象生徒の親も集まり話し合いをしたり、
自宅に謝罪に来られる親御さんもいらっしゃいました。
この時、私は何を1番重んじていたのかというのは
「何があっても、必ずあなたを守るから、我慢せず嫌だったことは教えてね」
という言葉をかけ、言葉の通り、行動で示していました。
4年生~6年生まで通い、その地区の中学へ上がりました。
中学に上がると、今までとは違い、個人差が大きく開くようになりました。
身長はぐんぐん伸びて体格も子供から青年へ変化していきます。
恥ずかしいという気持ちが芽生え、プライベートな時間を優先するなど。
一緒に買い物に行かなくなったり、だからと言って仲が悪くなることはありません。
自然と年相応の距離感なのだと対応していました。
全てはこの言葉がきっかけです。
「学校、行きたくないんだけど」
中学2年生、夏も終わりかけの朝 突然そう言いました。
何が起こったのか、分かりませんが
「私の仕事終わったら、しっかり話を聞くから今日は休もうか」。と言って、
仕事に出た私は、「この時期が来たんだな」と、内心思いました。
仕事を終え、帰宅後、息子と話をしました。
パッと文字にしますが会話のペースは
パスをだしたら、レスポンス待ち10分はかかります。
母 「どうして行きたくなかったの?」
子 「しんどいから」
母 「しんどいというのは、体力的に?それとも違う原因があるの?」
子 「歩くのが疲れる」
母 「でも学校を移動さすことはできないよね?ホントに歩きたくなくて嫌なの?」
子 「・・・・・・・」
なるほど。そうか、本人はなぜしんどいのか分からないけど、
今のままでは疲れるということなんだな。と思い、
すぐに、心療内科や心理検査の受けられるところをくまなく調べました。
1番早い、思春期外来の診察の予約が3ヶ月後でした。
3ヶ月後まで何も分からない状態で決断が必要だったのが、
無理して学校に行かなくていい。 という選択をすることでした。
更に心理検査までの予約、結果が出るまでの時間に半年かかりました。
この半年間が、中身の見えない箱に手を入れて何が正解か探し続けている時間で
仕事と、家事と、子育てとイレギュラーな壁の狭間で、独りで背負いきれない、
永遠の暗闇に放り込まれたような感覚でした。
そして中学2年の終わりに、自閉症スペクトラムと診断されました。
日常生活の中で、子育てにおいて困難であることが多く、
忍耐強くあらねば成立しない子育てをしているので
診断について、私は何の疑問もなく、なるほど。と、受け入れられました。
そして、ここから関わり方をどうしていけばいいのか、という
第2の子育てのスタートラインになりました。
診断までの経緯はこのような流れでした。
実際にこのページに書き出せない思いがたくさんあった時期ではありますが
非常に長くなってしまうため要点のみになっています。
明日の#4では自閉症スペクトラムと分かってから
どう行動が変化したのかを書いていきます。
最後までお付き合いありがとうございました^^