#3シングルマザー 診断までの経緯 【私の息子は自閉症】姫路市カウンセリングルームプチフォレスト

ブログ

#3シングルマザー 診断までの経緯 【私の息子は自閉症】姫路市カウンセリングルームプチフォレスト

2019/09/01

皆さまこんにちは。

#3では診断までの経緯をお話したいと思います。

#2では保育園の卒園まででしたので、それ以降のポイントを含めながら

書いていきます。

 

【診断までの経緯】

息子は小学生になり、まだあどけない幼さの残る時期で

1人で大丈夫かな?という心配はありましたが

私の仕事の都合もあり、小学1年生~3年生まで放課後に学童保育で

お世話になっていました。毎日のルーティーンが決まると慣れで行動できるようになります。

 

4年生からは学童が利用できないのですが、この時期に転校をしています。

学校でも手を貸してくれる生徒もいれば、からかう対象として問題に発展したこともありました。

問題になった時には、その度、対象生徒の親も集まり話し合いをしたり、

自宅に謝罪に来られる親御さんもいらっしゃいました。

この時、私は何を1番重んじていたのかというのは

「何があっても、必ずあなたを守るから、我慢せず嫌だったことは教えてね」

という言葉をかけ、言葉の通りの行動で示していました。

4年生~6年生まで通い、その地区の中学へ上がりました。

 

中学に上がると、今までとは違って個人差が大きく開くようになりました。

身長はぐんぐん伸びて体格も子供から青年へ変化していきます。

恥ずかしいという気持ちが芽生え、プライベートな時間を優先するなど。

一緒に買い物に行かなくなったり、だからと言って仲が悪くなることはありません。

自然と年相応の距離感なのだと対応していました。

 

全てはこの言葉がきっかけです。

「学校、行きたくないんだけど」

中学2年生、夏も終わりかけの朝 突然言いました。

何が起こったのか、分かりませんが

「私の仕事終わったら、しっかり話を聞くから今日は休もうか」。といって

仕事に出た私は、「この時期が来たんだな」と、内心思いました。

 

息子と話をしました。パッと文字にしますが会話のペースは

パスをだしたら、レスポンス待ち10分はかかります。

「どうして行きたくなかったの?」

 

「しんどいから」

 

「しんどいというのは、体力的に?それとも違う原因があるの?」

 

「歩くのが疲れる」

 

「でも学校を移動さすことはできないよね?ホントに歩きたくなくて嫌なの?」

 

「・・・・・・・」

 

そうか、本人はなぜしんどいのか分からないけど、

今のままでは疲れるということなんだな。と思い、

すぐに、心療内科や心理検査の受けられるところをくまなく調べ

1番早い思春期外来の診察の予約が3ヶ月後でした。

3ヶ月後まで何も分からない状態で決断が必要だったのが、

無理して学校に行かなくていい。という選択をすることでした。

更に心理検査までの予約、結果が出るまでの時間に半年かかりました。

 

この半年間が、中身の見えない箱に手を入れて何が正解か探し続けている時間で

仕事と、家事と、子育てとイレギュラーな壁の狭間で、独りで背負いきれない、

永遠の暗闇に放り込まれたような感覚でした。

 

そして中学2年の終わりに自閉症スペクトラムと診断されました。

困難なことが多く忍耐強くあらねば成立しない子育てをしているので

診断について私は何の疑問もなく、なるほど。と受け入れられました。

そして、ここから関わり方をどうしていけばいいのかという

第2の子育てのスタートラインになりました。

 

診断までの経緯はこのような流れでした。

実際にこのページに書き出せない思いがたくさんあった時期ではありますが

非常に長くなってしまうため要点のみになっています。

 

#4では自閉症スペクトラムと分かってから

どう行動が変化したのかを書いていきます。

 

最後までお付き合いありがとうございました^^。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハート型の真ん中に鍵が刺さっている