性別の壁で悩むあなたへ 【 自由性について考える 】姫路市カウンセリングルームプチフォレスト

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性別の壁で悩むあなたへ 【 自由性について考える 】姫路市カウンセリングルームプチフォレスト

2019/08/23

こんばんは。

姫路市カウンセリングルームプチフォレストです。

本日も皆さまお疲れ様でした。

 

今日のテーマは自由性について

思うことを書いていきます。

自由性というのは自分で選べる性を意味しています。

 

昨今よく耳にするLGBTQに該当する方がいますが、

・体と心の性が違う方

・同性が恋愛対象になる方

・性別関係なくどちらでも恋愛対象になる方

セクシュアリティは様々ですが

海外では同性婚が可能な国もありますし

日本でも中性的な印象を持つ方が増えてきました。

 

そして生物学者を驚かせたのは

野生のペンギンがオス同士で番になっていたことです。

太古から生物の遺伝子に組み込まれている

子孫を残すという種の保存の法則。しかし、

野生の生き物でも性の枠を飛び越えて番を見つける。

 

人であれば差別の対象となり

人と違うことでセクシュアルマイノリティは

世間からは誹謗中傷を浴び、

親からは病気だと言われ矯正施設へ連れていかれることもあります。

 

ただでさえ、自分の性のありかに戸惑い

自覚しても なお、誰にも言えず苦しい思いをして

実際に尊い命を落とした子供もいます。

 

そうして自分を繕って生きることの苦しみが

誰かと共有できる場所があるとか

親の対応が愛情あふれる理解者だったりするのは

肯定されるのは本当に ごくごくわずかな人だけなのです。

 

私が実際にお話した方は

自分の性に気付いて 解放され、今を楽しく生きています。

ですが、多くの方はこう言います。

「コソコソここまできたけど」

「公衆の面前だとダメだけど」

「陰に隠れてこのまま生きてくしかない」

 

私はその言葉を聞いて、

もったいないな。と思いました。

なぜなら、同性で恋愛関係であったにしろ

自分にとって唯一無二のパートナーに出会えることは

決して当たり前じゃないからです。

 

男女間の恋愛のもつれ、些細な喧嘩、仲直り

一緒に出掛けて花火を見る。

・性別で何か違いますか?

・喜怒哀楽の何かが欠如しますか?

・生物の3大欲求に支障がありますか?

 

つまり、同じなんです。

同じように喧嘩すれば 傷ついて、泣いて、、慰め合う。

時に 助け合い、、いつも心の中にいるだけで

世界はまるで景色が変わって見えるのです。

 

単純な話、好きな人が自分を好きになってくれること自体

奇跡的な確率だと思います。

その出会いを 育み、誰かに支障が出るとしたらば

孫の顔を見せられない親に申し訳ないと感じるかも知れません。

親の場合は自分の子育てを責める傾向があります。

 

しかし、生まれ持った性なので親の責任でもなく

もちろん 当人の責任でもありません。

この世に生まれてきた命に感謝した日を思い出せば、

親からすれば元気に生きていてくれるだけで十分だと。

思える親の方が断然多いのではないかと思います。

 

生まれつき手足がない、目が見えない、耳が聞こえない等であれば

身体障がい者として生活します。

確かに周りの方々のサポートシステムが必要です。

しかし自分でできることも多々あり

1人暮らしも可能です。

盲目の方と電車で居合わせた私は空いている席を

「ここが空いていますよ」と声をかけ案内しましたが

「ありがとうございます」と仰って目的地へ向かう。

 

目的地へ向かう。ただ同じことをしているに過ぎないのです。

見て見ぬふりをすることも できたかの知れません。

ですが行動を起こしたとて何の問題もありません。

身体にハンデを抱えて生きていくのは困難なこともあります。

しかし、可哀想だというのは違い、それは個性です。

 

 

自由性も同じように1つの個性と捉えています。

・足が速い。

・勉強ができる。

・絵が上手。

・声がきれい。

・スポーツが得意。

これらも個性です。

 

好きなことにとことん限りある命を燃やして生きるのは

むしろ素敵なことだと思います。

 

昨今認知されつつあるセクシュアルマイノリティ。

もし、勇気を出して、本当の自分を打ち明けてくれたならば

打ち明けられたあなたは、相当信頼されていて失いたくないと

思われています。

一瞬の戸惑い、理解までのキャパオーバー、時間は必要です^^

ですが、1度思い返してみてください。

 

・相手が自由性であって何か問題ありますか?

・会社が倒産しますか?

・明日世界は終わりますか?

・自分の生活に何か支障がありますか?

 

きっと答えはいつでもシンプルです。

 

私が思うのは、過去に苦しい思いをしたり

陰でこそこそ生きてるんだ。と聞いた時に

差別意識を何より自身が1番自分を認めてあげられないのかな?

というのと

人と向き合う努力もせず、批判だけは3人前な人が必ずいる事実。

 

少数派であっても 下を向くことなどありません。

時代の変化に賛否両論はセットでついてきますが

そもそも否定派が他者の人生の責任を取ってくれる訳でもなく

相手にするだけ労力が無駄に消費されますので

隠れる必要もありません。

 

堂々と生きていく権利も

愛される権利も

尊重される権利も

誰もあなたから奪うことなどできません。

そして皆が本当の意味で平等であること。

 

カミングアウトは無理にしなくていいことですし

何に関してもそうです。

時が来れば自然にそうなるのかも知れません^^

 

 

今、誰にも言えないことを 抱える方へ届きますように。

 

 

カウンセリングルームプチフォレストでは

色々なクライアントさんがおられますが

私にとって、最初の悩んだ顔から 希望が見えた時の顔が

自然に 変化していくこと。笑顔になっていくこと。

それが、私の最上の喜びです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バラの花と錠と鍵

こんばんは。

姫路市カウンセリングルームプチフォレストです。

本日も皆さまお疲れ様でした。

 

今日のテーマは自由性について

思うことを書いていきます。

自由性というのは自分で選べる性を意味しています。

 

昨今よく耳にするLGBTQに該当する方がいますが、

・体と心の性が違う方

・同性が恋愛対象になる方

・性別関係なくどちらでも恋愛対象になる方

セクシュアリティは様々ですが

海外では同性婚が可能な国もありますし

日本でも中性的な印象を持つ方が増えてきました。

 

そして生物学者を驚かせたのは

野生のペンギンがオス同士で番になっていたことです。

太古から生物の遺伝子に組み込まれている

子孫を残すという種の保存の法則。しかし、

野生の生き物でも性の枠を飛び越えて番を見つける。

 

人であれば差別の対象となり

人と違うことでセクシュアルマイノリティは

世間からは誹謗中傷を浴び、

親からは病気だと言われ矯正施設へ連れていかれることも。

 

ただでさえ、自分の性のありかに戸惑い

自覚してもなお、誰にも言えず苦しい思いをして

実際に命を落とした子供もいます。

そうやって自分を繕って生きることの苦しみが

誰かと共有できる場所があるとか

親の対応が愛情あふれる理解者だったとか

肯定されるのは本当にごくごくわずかな人だけなのです。

 

私が実際にお話した方は

自分の性に気付いて解放され今を楽しく生きています。

ですが、多くの方はこう言います。

「こそこそここまできたけど」

「公衆の面前だとだめだけど」

「陰に隠れてこのまま生きてくしかない」

 

私はその言葉を聞いて、

もったいないな。と思ったのが最初です。

なぜなら、同性で恋愛関係であったにしろ

自分にとって唯一無二のパートナーに出会えたことは

当たり前じゃないと思うからです。

 

男女間の恋愛のもつれ、些細な喧嘩、仲直り

一緒に出掛けて花火を見る。

性別で何か違いますか?

喜怒哀楽の何かが欠如しますか?

生物の3大欲求に支障がありますか?

 

つまり、同じなんです。

同じように喧嘩すれば傷ついて泣いて慰め合う。

時に助け合いいつも心の中にいるだけで

世界はまるで景色が変わって見える。

 

単純な話、好きな人が自分を好きになってくれること自体

奇跡的な確率だと思います。

その出会いを育み誰かに支障が出るとしたらば

孫の顔を見せられない親に申し訳ないと感じるかもしれません。

親の場合は自分の子育てを責める傾向があります。

 

しかし、生まれ持った性なので親の責任でもなく

当人の責任でもなく、良いか悪いかなんて関係ありません。

この世に生まれてきた命に感謝した日を思い出せば、

親からすれば元気に生きていてくれるだけで十分だと。

思える方の方が断然多いのではないかと思います。

 

生まれつき手足がない、目が見えない、耳が聞こえない等であれば

身体障がい者として生活します。

確かに周りの方々のサポートシステムが必要です。

しかし自分でできることも多々あり

1人暮らしも可能です。

盲目の方と電車で居合わせた私は空いている席を

「ここがあいています」と声をかけ案内しましたが

「ありがとうございます」と仰って目的地へ向かう。

 

目的地へ向かう。ただ同じことをしているにすぎないのです。

見て見ぬふりをすることもできたかの知れません。

ですが行動を起こしたとて何の問題ありません。

身体にハンデを抱えて生きていくのは困難なこともあります。

しかし、可哀想ではありません。それは個性です。

 

 

自由性も同じように1つの個性と捉えています。

足が速い。

勉強ができる。

絵が上手。

声がきれい。

スポーツが得意。

これらも個性です。

好きなことにとことん限りある命を燃やして生きるのは

むしろ素敵なことだと思います。

 

昨今認知されつつあるセクシュアルマイノリティ。

もし、勇気を出して本当の自分を打ち明けてくれたならば

打ち明けられたあなたは相当信頼されていて失いたくないと

思われています。

一瞬の戸惑い、理解までのキャパオーバー、時間は必要です。

ですが、1度思い返してみてください。

相手が自由性であって何か問題ありますか?

会社が倒産しますか?

明日世界は終わりますか?

自分の生活に何か支障がありますか?

 

きっと答えはいつでもシンプルです。

 

私が思うのは、過去に苦しい思いをしたり

陰でこそこそ生きてるんだ。と聞いたときに

差別意識を何より自分自身が1番自分を認めてあげられないのでは?

というのと

人を知ろうともせず批判だけは1人前な人が必ずいる事実。

 

少数派であっても下を向くことはありません。

時代の変化に賛否両論はセットでついてきますが

そもそも否定派が人生の責任を取ってくれる訳でもなく

相手にするだけ労力が無駄に消費されますので

陰に隠れる必要もありません。

 

堂々と生きていく権利も

愛される権利も

尊重される権利も

誰もあなたから奪うことなどできません。

そして皆が本当の意味で平等であること。

 

カミングアウトは無理にしなくていいことですし

何に関してもそうです。

時来れば自然にそうなるのかもしれませんし

今言えないことを抱える方へ届きますように。